外貨両替 fx 初心者 最後の無頼派 伊集院静を見つめる な行 忍者ブログ
引き返せないことを知るのが大人だろうか。 人生にこまやかな慈愛の眼を注ぎながら心に染み入る筆で描く『哀切の人』。 直木賞作家・伊集院静のファンのために小説・エッセイなど著書を紹介しています。
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眠る鯉
伊集院 静
文芸春秋 刊
発売日 2003-01
オススメ度:★★★




読ませるのですが、 2008-04-30
癖の無い素直な文章で、とても読ませます。短編集なのですが、どれの作品も老いと死を意識せざる得ない年齢に差し掛かった人物のこれまでの人生のい中の忘れていた、あるいは悔いのある何かを取り戻そうとする(または受け入れようとする)話しです。


で、私は考え込んでしまいました。


つまり、あまり物語に、作品に潜り込めなかった、没頭できなかったのです。読みやすいのに、素直で、上手いのに、です。何故だか考えてみたのですが、私(読み手)にとってのこの短編集の中に出てくる人物に共感出来る人物が見当たらないからなんですね。どうも、自分勝手過ぎて(もちろん私もかなり自分勝手度数高いです、おそらく日本男性の平均値は軽く越えている自信アリ)どうしても共感が起こらない。また、短編として切り取るある場面なり、時間なりにその理由なり、綺麗さだとか、言葉にしにくい何かだとかを投影する事も、ココでなくてもよいのでは?というツッコミ小人(私の中にいる他者といいますか、批判精神の人称化といいますか、そんな奴です)を納得させられなかったのです。もう少し工夫があっても良いのではないか?と。少々ストレート過ぎるのではないか?と。また、私の想像力(死期せまる老齢の方々の心境になりきれない)の無さを確信しました。



と、いままではこの辺までの感想で終わっていたのですが、何故だか(この読みやすさからだと私は感じるのですが)もう少し考えると、この小説の対象読者に入れなかった→ではなくそもそも作者が想定している読者層に私が入れなかった→よく考えると、なんとなくだが、ある一定の年齢に達した方(息子、娘が成人していて自分の死期を間近に感じられる年齢)にだけ届けば良い様に書かれている、という感覚に陥りました。だからこそ、あえてストレートにする事で残り時間の少ない方に訴えかける強さが増すのかもしれない、と。



でも、まるでカンドーしたがり(「感動」ではなく「カンドー」です、もう待ってる状態ですから、すっごく安くても美味しく「カンドー」できちゃうアレです)な方々と泣ける安易な(すぐ人死んじゃう、とか実は生きてた!とか)ベストセラーの関係みたいです(泣いてスッキリ、気持ち良ければオッケー過ぎて、恐ろしいと私は勝手に思いますが)けれど。



変わるかもしれませんが、今のところ、息子、娘が成人していて自分の死期を間近に感じられる年齢の方にオススメ致します。


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ねむりねこねむりねこ
伊集院 静
講談社 刊
発売日 2003-11
オススメ度:★★★★




喰わずぎらいだった 2004-05-03
熊谷守一の表紙絵に惹かれて買った。筆者の伊集院静の本を買うのは初めてのこと。夏目雅子と結婚したことで名を上げた流行作家という印象が私の中にはずっとあったし、伊集院静という名前がなんとなく胡散臭くて、喰わず嫌いをしていた。しかし読んでみてけっこう骨のある人だと解った。熊谷守一の絵が好きなだけはあると、急に妙な親近感も湧いた。
気に入ったフレーズが幾つか出てくる。
その一つは『私は人前で大声を上げないのことが大人の男だと思って生きてきたのに…』「松井秀樹の軌跡」の中で、伊集院が「ヨオーッシ」などと松井のホームランに無意識に声を上げる、らしい。という所だ。
全くそうだ。人前で大声をあげる男は、大人の男とは認めたくない。男は常に冷静沈着であってほしい。最近の男は大したことでなくても、人前で泣いたりわめいたりするのがいて、嘆かわしいと思っていたので、この一言には膝を打った。
さて「ねむりねこ」とは、守一の表紙絵のタイトルそのままを取ったものだが、あとがきに、そのあたりのことがこんな風に書いてある。
『守一の作品には根に品性がある。それは私に一番欠落しているもので、こころがけてみるのだがいっこうに身につかない…』
なんの、なんの、このエッセイ集を読む限り、伊集院静には品性があることが良くわかるのだ。


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眠る鯉 (文春文庫)眠る鯉 (文春文庫)
伊集院 静
文藝春秋 刊
発売日 2005-12
オススメ度:★★★




伊集院のゆとり 2005-12-18
楽に読める。あまり衝撃を受けたり溜息をつく必要がなく、しかし読書のよろこびは味わえる。星の数は言うまでもなく便宜的なものであり、

小説の価値は客観性と馴染むものではありません(念のため)。

さて著者の作品に不思議に漂う一種の安心感ないしは余裕は、どこから

来るものだろうか。おそらく、伊集院氏にとっては、男性には言うに言われぬ「あり方」のようなものが厳として存在し、そこにとどまるならば安心立命の境地は自然に訪れるものだ、というような認識があるのではないだろうか。「あり方」は作法とも規範とも異なるほぼ言語化不能な何かである。そして女性については、「自分は女性ではないからよくわからない」と伊集院氏は思っているのではないか。


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