引き返せないことを知るのが大人だろうか。
人生にこまやかな慈愛の眼を注ぎながら心に染み入る筆で描く『哀切の人』。
直木賞作家・伊集院静のファンのために小説・エッセイなど著書を紹介しています。
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半人前が残されて (文春文庫)
伊集院 静
文藝春秋 刊
発売日 1998-06
オススメ度:★★★★★
氏の人柄がうかがえます 2009-02-04
私は、酒飲みとギャンブラーが、生理的に苦手です。それで、その手の人はなるべく避けて生きていますし、よって周囲にはこのタイプの知り合いは余りいません。これまで酒とギャンブルを扱ったエッセイ・小説を書く作家の本も読んだことがありませんでしたが、この本は友人に薦められて手に取りました。
これが、おもしろい。そうか、二日酔いになるとはこういうことなのか。競馬や競輪やマージャンは、こういう風にやみつきになるのか。遊び歩く人の生態とはこういうものか、なかなか唸らされる…『涙を拭いて』などは、少し下品ですが、大爆笑モノです。
ただ、この本はそれだけではありません。氏の人生観、そして真っ直ぐでひたむきな人柄が、ひしひしと伝わってきます。つらい経験を沢山された方なのでしょう。言葉にずっしりと重みがあります。そして、たびたび登場する、美しい花と自然の描写。二日酔いとギャンブルと風流。とても粋です。相変わらず、酒飲みとギャンブラーは苦手ですが、そういう風に一括して遠ざけていると、人生かなり損をしているのかな、と思わされます。お体をお大事に。
半人前の私だけが残ってしまった 2002-01-14
伊集院静氏が週刊文春に連載していたエッセイ「二日酔い主義」は、大胆に言いきってしまえば「競輪・酒・麻雀が大好きなろくでなし男のエッセイ」という所なのかもしれない。
しかし氏の美しい文章は心を軽やかにし、
時に触れる生きる事への切なさを綴った文面は人の心を捉えて離さないものがある。
この本はそのエッセイシリーズの確か第5弾だったと思うが、特に秀逸の1品。
特にタイトル作品の「半人前が残されて」は、氏の友人をなくした悲しさが痛切にこちらの胸にまで響いてくる。
是非手にとってこの人の生きざまに触れていただきたいものです。
さらに詳しい情報はコチラ≫
伊集院 静
文藝春秋 刊
発売日 1998-06
オススメ度:★★★★★
氏の人柄がうかがえます 2009-02-04
私は、酒飲みとギャンブラーが、生理的に苦手です。それで、その手の人はなるべく避けて生きていますし、よって周囲にはこのタイプの知り合いは余りいません。これまで酒とギャンブルを扱ったエッセイ・小説を書く作家の本も読んだことがありませんでしたが、この本は友人に薦められて手に取りました。
これが、おもしろい。そうか、二日酔いになるとはこういうことなのか。競馬や競輪やマージャンは、こういう風にやみつきになるのか。遊び歩く人の生態とはこういうものか、なかなか唸らされる…『涙を拭いて』などは、少し下品ですが、大爆笑モノです。
ただ、この本はそれだけではありません。氏の人生観、そして真っ直ぐでひたむきな人柄が、ひしひしと伝わってきます。つらい経験を沢山された方なのでしょう。言葉にずっしりと重みがあります。そして、たびたび登場する、美しい花と自然の描写。二日酔いとギャンブルと風流。とても粋です。相変わらず、酒飲みとギャンブラーは苦手ですが、そういう風に一括して遠ざけていると、人生かなり損をしているのかな、と思わされます。お体をお大事に。
半人前の私だけが残ってしまった 2002-01-14
伊集院静氏が週刊文春に連載していたエッセイ「二日酔い主義」は、大胆に言いきってしまえば「競輪・酒・麻雀が大好きなろくでなし男のエッセイ」という所なのかもしれない。
しかし氏の美しい文章は心を軽やかにし、
時に触れる生きる事への切なさを綴った文面は人の心を捉えて離さないものがある。
この本はそのエッセイシリーズの確か第5弾だったと思うが、特に秀逸の1品。
特にタイトル作品の「半人前が残されて」は、氏の友人をなくした悲しさが痛切にこちらの胸にまで響いてくる。
是非手にとってこの人の生きざまに触れていただきたいものです。
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